現代社会におけるリスク問題

(パワーポイント-1)
都市のリスクマネジメントを考えるというのは、別な言い方をすると、現代社会におけるリスク問題を全面的に語ることになるだろうと思います。皆さんが日々面しているというか、対している都市が、現代社会全部をある意味では反映しており、その中で皆さんは、リスクをどう考えるかという立場に立たされているということだろうと思います。
いつか都市リスクを勉強したいと思っておりましたのでこの機会に都市問題というものを、リスクマネジメント的な視点で考えてみようと思い、今回の講演を引き受けさせていただきました。その考え方のベースにと考えたのが「リスクマネジメントシステム」です。「リスクマネジメントシステム」というのは、リスクマネジメントに関する「メソドロジー」と考えていただければよろしいかと思います。昨年JISに国内標準規格として発表したものですが、その視点から考えてみようと思います。
ところが、いざ都市を考えたときに、ここにおける様々な行為の主体は一体誰なんだろうか、また、都市はどのようなメカニズムで動いているのかなどなど考えていたら、マネジメントシステムに行き着くまでにいろんなことを考えなきゃいけないということに気がつきました。
そういう意味では、当初リスクマネジメントシステムということを基に都市リスクについて示唆できるものをお話しようと思っていたのですが、実はそこまで行き着いていないというのが正直なところです。したがって今日は「都市のリスクマネジメントを考える」の序章でご勘弁いただきたいと思います。
都市のリスクマネジメントシステムは、名前だけにせよ、中世のころから提案されていました。そのあたりも踏まえて、メソドロジーとしてのリスクマネジメントシステムを都市に適用したときに、一体どんな姿が見えてくるのか、そこでの課題は何なのかということをお話したいと考えております。
(パワーポイント-2)
さて、リスクというのは今どんな分野でも語られる、いわばキーワードとなっています。現代社会の混沌あるいは不確実性の中で、それでも未来に向けて進むためには、リスクも考えておかなければならないということなのだと思います。
ところが、リスクは、それぞれの人の立場とか感情とかによって異なります。あるいは人によってリスクに関して思うところが全然違う場合もあるわけです。そういうことで都市におけるリスクを考える前に、リスク概念は、社会的にどんな形で出てきたのかというのを整理し、若干の定義を試みたいと思います。そしてそれを踏まえた上で今回のお話をしていきたいと思います。
(パワーポイント-3)
今日(こんにち)使われているリスクというものは、近代社会の中に入って初めて出てきた概念です。私の知っている限り、西欧、ヨーロッパ、あるいは伝統的な文化を持っている中国にしても、あるいは中近東にしても、エジプトにしても、中世のあたりまではリスクという概念はほとんどなかったと思います。
歴史上、初めてリスクという言葉が出てきたのは、概ね16世紀から17世紀ぐらいにかけてです。ヨーロッパの探検家とか、探検家ではなくてもそれに近い冒険的な商人たちが、東へ東へ、あるいは西へ西へと世界に向けて航海を始めたころに出てきた概念と考えていただいてよろしいかと思います。
もともとのリスクの語源は、ポルトガル語で、海図なき航海、要するに、海図もないところへ向けて海に漕ぎ出していくというものです。海図なき航海の「航海」というのは、空間にかかわる言葉ですので、リスクというのは、当初ある意味では未知の世界に行くというものだったのでしょう。
その次に出てきたのは、時間にかかわる言葉としての意味でした。今日よりも明日、あるいは1年後、どんどん先が見えなくなっている。明日はどうするのだろうか、あるいは1年後はどうするんだろうか。その時間を考えたときに、不確実性を考えざるを得ない。そのときに時間に関わる言葉としてリスクが使われるようになってきたわけです。
次に、空間、時間を超えて、人間の意思に関わるものとしてリスクが使われてきました。例えば都市あるいは建物をつくる、といった行動は人間の意思の結果としてあるわけです。しかしその出来上がったものが、この人間社会にもたらす影響は何なのか、といったことに関してその予測がつかない、ある人間の行為の結果としても不確実性が生まれるということが認識されてきたわけです。そういう人間の意思にかかわるものとしてリスクが使われてきたということです。
現代いわれているリスクは、不確実な状況を全部ひっくるめて表したものと考えられます。空間、時間の不確実さ、人間の意思の不確実さ、あるいは結果の不確実さ、全部含めて一切合財、今のリスクの中には含まれているのです。
そう考えると、皆さんが扱おうとしている都市は、空間、時間等全ての不確実を抱えた対象です。今あることがすべてではなくて常に変化する対象です。例えば、あした、あるいは何年後、何十年後も含めて都市ということを考えなければならないということです。また、そこに住んでいる人、来る人、去っていく人も含めて、どんな意思を持つのかを考える必要があります。これは都市を造った人、あるいは経営している人とは関係なく色々な意思が都市の中にあるからです。都市に集まる人々がどんな行動をするかわからないし、その結果、街がどうなるかわからないという意味で、都市というのは、空間とか時間、意思決定、不確実な状況、すべてを含む、ある意味ではリスクの集合体ともいえます。そこが都市の一番おもしろいところであり、難しいところでもあるんじゃないかと思います。
(パワーポイント-4)
今非常にあいまいな概念としての空間、時間、人間の意思についてお話ししました。そういう情念的な話だけをしていても前に進みませんので、リスクをどういう形で捉えたらいいのか、あるいはリスク下である決定を下すときに、ロジカルに取り扱うためのべースになる考え方は何なのかということを示してみようと思います。
いろんな表示の仕方がありますけれども、一番シンプルで、だれも異議を唱えないであろう定義の仕方についてお話したいと思います。
1つは、アンサーテンティー(不確実性)を示す項です。さっきお話した空間的な不確実性、時間の不確実性、あるいは人間の意思の不確実性、すべての不確実さを表現する項です。
もう1つは、不確実な物事が起きて、結果がもたらされることを示す項です。リザルタント、つまり物事の結果を表しています。後でお話ししますけれども、結果は受け手にとってマイナスだけじゃなくてプラスもありますので、この項は、人間の行為のもたらす結果そのものを示すと考えてもよいかと思います。
このように、リスクを不確実性と結果という2つの項で表そうというものです。
当然のことながら、結果は人によって異なります。つまり、だれにとっての結果なのかが重要となります。同じ事象であっても、私にとっての結果と、皆さんのうちのだれかの結果とは違うかもしれない。これは立場の違いとか考え方の違いによって結果が違ってくることを意味しています。そういう意味では、結果を考える場合、それがだれにとってのものであるかを常に明確にしないとだめだということです。
さて、余談ですが100%確実な事象をリスクとは言いません。ともすると、危険な状態をリスクととられがちですが、これはリスクではありません。つまり確実にこれがおきる、あした必ずこれが起きる、あるいは10秒後にこれが起きる、そういうことに対してはリスクとは言わないわけです。なぜかというと、不確実ではないからです。このようにリスクというのは、不確実な状態、あるいは確実なものではないものをいいます。
さて、いまだに我々の中で議論されるのは、リスクはプライオリに存在するかどうかということです。つまり、我々が何にも気がつかないうちに、危険な状態が迫ってきているという状況です。起きるか起きないかも当然わからない。それは私の上を知らぬ間に過ぎ去っていくかもしれないしある日突然身に降りかかってくるかもしれない。これをリスクというかどうかです。
リスクは、認識して初めてリスクとなるという言葉があります。不確実であっても、どんな情報であろうとも、その情報を集めて、自らリスクがあるということを認識しなければマネジメントは出来ません。都市リスクが典型なのですが、我々は通常、リスクが顕在化して結果が出てから初めてリスクの存在を認知するわけです。
それでは、どの段階からリスクとして考えるべきなのか、ですが、この解が都市リスクを考えるに当たって重要になると思います。
それと、ある行動の結果としてリスクが発生するという事実に対する認識が重要であると考えています。先ほど言いましたように、人間は意思があり、その意思に基づいて行動します。その行動の結果、そこには何らかのリスクが生まれます。つまり社会とか組織、もちろん個人の意思がリスクを生み出すと考えたらいいのではないでしょうか。これは後でもお話しいたしますが、リスクの発生には、非常に重要なところで人間の意思が介在しているということです。
もう1つ重要なことは、リスクの顕在化による他者への影響の可能性です。単純にいうと、ある結果がだれかの被害になることもあるということです。影響の受け手とある行為の意思決定者が相違しているということです。例えば、国、自治体、企業、あるいは個人がある意思決定を下したことを想定してみます。意思決定者である自分がその結果を受けるのだったら、それはそれで、ある意味、覚悟をしていたわけですから仕方のないことといえます。ところが問題は、意思決定者と影響の受け手、つまり被害の受け手が異なることがあるということです。これをリスクの非内部完結性と言います。リスクが内部完結すること、つまり、因果応報であればそれなりに納得できます。つまり私がやったことの結果を私が受ける、私が決めたんだから、これはしようがないね、と諦められるでしょう。ところが、意思決定者と関係ない人々が影響を受けることがあるわけです。これこそが現代で起きているいろんなリスク問題の重要な点であると考えられます。
例えば、最近の食品問題。世の中に出ている製品を買うか買わないかというのはその人が決めることです。しかし、それ以上に安全であるとして売ることの意思決定をした企業、あるいはそれを認可した行政も、一方であります。後者の企業の意思決定に問題があったのであれば最終的にその会社が指弾されるべきで、その結果破産をしてもそれはそれで自業自得です。これはある意味では因果応報で報復を受けるということで仕方のないことだと思いますが、問題はそれを買って食べた人が被害を長期間にわたって受けるということです。
もうちょっと別な例でお話します。あるところに工場があり、その工場で爆発事故が起こったとします。そこに住む人たちは、そこに工場があるということがわかっていても、どこまで危険かわからないでその近くに家を買ったと考えられます。さてある日その工場が爆発事故を起こすことによって、家族全員が亡くなってしまうという例です。家を買った人の意思に問題があったといえるでしょうか。この例は都市リスクを考えるに当たって非常に重要な示唆を含んでいると思います。
ある人の意思、あるいはある組織の意思の結果を、その意思決定者と全く違ういわばいわれなき人々が被害として受けざるを得ないということがある、というのも、リスクの非常に重要で不幸な特徴だと思います。
一般的には被害をいかにコントロールするか、あるいはマネジメントするかというのがリスクマネジメントの基本的な役割としてきました。ところが、これが現代になってきて、金融など、非常にブレの大きいもの、つまりプラスの大きいところからマイナスの大きいところまでブレるような結果を持つ例が現れてきました。そのため現在では結果は正にも負にもなる、とするのが一般的な考え方になっています。負だけじゃなくて、プラスも含めてマネジメントの対象にしようという概念が、金融を中心にしたリスクマネジメントの考え方です。
それから、もう1つ現代のリスクの特徴についてお話します。リスクの顕在化による結果を被害だけと仮定してみましょう。この被害が不可逆性を持つということです。これは最初お話ししましたけれども、中世、16世紀ぐらいに最初にリスクという言葉ができたときに、それと対のところで、保険という概念が生まれました。冒険的に世界に航海をしていったその船に対して、出発前にいわば保険料に当たるようなお金を払ってくれれば、仮に沈んだときには、その沈んだ船の荷主さんなり船主さんにはそれに見合う保険金を払ってあげましょうという、今で言う保険の概念が出てきました。このように、保険で被害はカバーできると長い間考えられてきました。さて現代では、世界のリスクに対して保険でカバーできるのは10%を切っているんじゃないかといわれています。7%から8%ぐらいでしょうか。現代の企業なり国なり、あるいは個人も含めていろんなところが負っているリスクについて9割ぐらいは保険ではカバーできないということです。これには2つ理由があります。保険で幾らお金をもらっても、被害は回復できないと考えているものが多いということです。例えば人間の命とかけがなどはお金をもらっても被害の回復とは言えないというわけです。これが被害の不可逆性です。
ビジネスの例でお話しましょう。金融機関などで、1時間コンピューターシステムが止まってしまった、あるいは6時間データが扱えないということを想定してください。この企業は保険を掛けていて、そのような事態になったときにはある一定の保険金を手にすることができるかもしれませんが、しかし、その間のデータ喪失についてはもう取り戻すことができませんし、その被害たるや、お金では取り戻せないということです。現代はコンピューターシステムに非常に依存する企業が多くなっています。コンピューターシステムが1時間止まったことによって、収益的には半年ぐらいリカバリーできない。それが1週間になると、1年たっても2年たっても、そのときの損失はカバーできない。1カ月コンピューターシステムが止まってしまうと、2年から3年のうちにそのような会社の80%はつぶれてしまうというアメリカの統計もあります。これが、現代リスクの特徴の一つとしての、被害の非可逆性です。
もう1つは、リスクの個性化ということです。これは同じ被害であっても、人によって、あるいは、組織の立場、時代によって、その受け方が違い、重大さも違ってくるということです。1つ1つのリスクが保険でカバーできるような、別の言い方をすれば大数の法則になるようなリスクとして一般化出来るものではなくなってきているということです。リスクは1つ1つ全部個性化しており、個性化したリスクに対して、トータルとしてだれかが対応してくれるのでなく、自分たちが自らそれぞれのリスクに対してマネジメントしていかなきゃいけない、こういう時代になってきたというのが特徴なんじゃないかと思います。
(パワーポイント-5)
これまで現代リスクの特徴についてお話をしてきました。次に、そういうリスクを抱えた現代社会は、昔の社会と一体何が違ってきたのか。あるいはそのようなリスクを受ける社会は、一体どんな社会なんだろうかということを考えてみたいと思います。
皆さんご存じのように、リスクという概念は前近代文明にはほとんど見られなかったものです。これはなぜかというと、人の行動の結果は、運命であったり、宿命であると考えられていたからです。うまくいっても神の意思だし、悪くいっても神のおぼしめしであると考えていたわけです。日本でも災害は人知の至るところじゃない、神のなせる業だと考え、諦めてきたわけです。秩序、伝統文化の中ではリスクはないと考えられてきました。
ところが、近代文明になって、将来の可能性を積極的に評価した上で、あえて危険を冒してもいいじゃないかという考えが出てきました。それが競争力あるいは差別化を生み出すもの、社会の競争の源泉であると考えられてきました。あるいは未来志向ともいえます。未来とは何かというと、征服と開拓の対象であり、未来というのは恐れじゃなくて、開拓なり征服の対象であると考えたわけです。そこにリスクという概念が出てきたわけです。
別な言い方をすると、過去との決別を志向する社会がリスクという概念を生み出してきたわけです。近代文明はリスクを認識し、リスクに対して自分たちがどう行動していくのかが問われる社会です。そのような社会の変化の中でリスクという概念が出てきたと考えるのが一番わかりやすいだろうと思います